南の島が楽園なのは、そこに住む人々が幸せだから。

2013.04.24 | Theme :

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 古い話で恐縮だが、1999年から、編集長として「千葉ウォーカー」創刊に携わることとなり、神奈川出身で一度も千葉に住んだことのない僕は、いろいろ千葉を研究するようになった。

 千葉県を一言で言い表す特徴、というと困るが、県民性は島気質に尽きる。実際、明治まで江戸川と利根川に橋はなかった。古くから海を通じた都との行き来が中心だったことや、江戸時代においても、海運の要所(この時代まで、大量輸送手段と言えば船しかなかった)である江戸川、利根川に橋は作れなかったことなどからと思われるが、結果として、房総半島は巨大な島と同じ地域特性を持つことになった。

 島気質の特徴として、のんびりしていて、争いを好まず、地域への意識も薄いことなどが挙げられる。ディズニーリゾートや空港など、「東京」の名を関した巨大施設が東京以外にあるのはほとんど千葉県であることがいい例で、言い換えると他者との差別化に無頓着ということだ。

 今年から、大分県の国東市で地域の情報発信力強化のためのセミナー講師の依頼を受けて、すでに2月段階で2回赴いた。セミナーというより、参加者と力を合わせ、国東市民の手によって国東の魅力を発信する冊子を1年かけて研究し、制作していこう、という方向で進めている。1月のセミナーで、参加者に自分が思う国東じまんをなんでもいいから1つ以上挙げて、それにターゲットを設定してもらう、という課題を出して、2月に再訪した。

 提出された課題から見てもやはり予想通りだったのが、ここも見事な島気質の街である。隣の芝生を羨むことがなく、控えめで、でも住んでいる自分は十分幸せである、という、まさに愛すべき人々であるのだが、半島の東半分の海側に面する国東市に対し、同じ国東半島の西側に位置し、九州北部と交通の行き来が多い豊後高田市が昭和の町などのコンセプトで地域の差別化に邁進しているのとは対照的だ。

 今後どういう国東の魅力をピックアップしていくかはこれからの課題として、ちょっと唐突かもしれないが、僕自身は一度ここを訪ねてみて、非常にハワイに似ている、と感じた。それもオアフ島というよりはハワイ島やカウアイ島(は行ったことないが)のイメージだ。国東半島の中心に位置する両子山は標高が470mしかないため全体に地形はなだらかで、瀬戸内海に面した海も穏やかな上、日本の海岸線には珍しく何キロも砂浜が続く、といった見た目の特徴もそう感じさせる一因だ.

 ただ、それよりもここの島気質の人々の生活が、僕にとってハワイを感じさせる大きな要素になっている。街の建物はどれも古いがきちんと手入れが行き届いた佇まいで、ここに住んでいる人々が精神的に豊であることが強く印象づけられる。実際、UターンやIターンした人が多くセミナー参加者にいるのもそういったことと関係あるのかもしれない。

 これまた古すぎる話だが、かつて熱海は「東洋のナポリ」と標榜され、新婚旅行のメッカだった時代がある。なぜナポリなのかと言えば地形や建物の並びが似ていて、保養地である、という街の位置づけも似ていたからだろう。

 しかし交通手段が発達し、国民の所得も増えた結果、熱海は首都圏から見て手近なナポリの役目は負えなくなった。なにより、(おそらく)熱海の人々の暮らしはイタリア人と似ていない。「東洋のナポリ」が廃れたのは、言い回しがダサかっただけではなく、人々の暮らしが極端にイタリアっぽかったりしたら、案外今でも人気の保養地だったかもしれないのだ。

 もとより、街を作るのは人でしかない。国東においては、住んでいて幸せだ、と感じている人々もインフラと考え、街の魅力に転化する方法はないものか、これから探っていきたい。

(冒頭写真は、国東市南部にある黒津崎海岸)

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