先日の地震で、母の故郷である宮城に今も住む叔母が津波に襲われて亡くなっていたことが今日わかった。遺体は16日には警察に引き取られていたのだが、今日まで身元不明で安置所に置かれていたのを、娘(つまり私の従姉)がやっと見つけたらしい。地震から17日もの間、探しまわった挙句遺体と対面した気持を考えると胸が痛む。
叔母といっても私が50歳だから80を過ぎていたが、毎年野菜や米や餅を母のところへ送ってくれていた、元気な叔母だった。せっかく長生きしたのだから、大往生させてやりたかったと思う。
今は日本中、いやひょっとすると世界中が心を痛め、被災した人たちになにができるかを、必死で考えている。津波に原発事故が重なり、世界史上でも未曾有の災害であるから、最適の方法をすぐに編み出すことは難しいかもしれないが、今は効率性などを考えるよりも、危機に瀕している人を一刻も早く救うのが先決であり、日本人の「強さ」が試されているとすれば、瞬発力が問われている段階である。
しかし、今後同じ強さでも持続力を問われる段階が来る。今回の震災からの復興は、一段落した、と思えるまででも最低で10年、ひょっとすると20年、完全に復興を成し遂げるのは私が生きている間はムリかもしれない。
被害が広範囲に渡っている、ということももちろんあるが、今回の震災では、「格差復興」いう新しい問題に日本人が挑戦しなければいけない、と思うからだ。
ある程度の年齢以上の多くの日本人が、今回の災害からの復興は終戦後以来、と思ったはずだ。これ以上は敗戦後の焼け野原くらいしかない、だがあれを乗り越えた日本人には今回の試練も乗り越えられないはずはない、と。
確かにそうだろう。ただ、あのときは日本中が焼け野原だった。全員がゼロか、マイナスからのスタートだった。もちろん日々暮らしが悪くなる人もたくさんいたろうけど、とりあえず明日はきっと今日よりいい日になる、と思ってみなががんばれた。
だが今回は、少し極端な例えで言えば、被害を受けていない西日本が被害を受けた東日本を助ける、という構造になる。西のマイナスが東のプラスになるのだ。極端な格差を同じ国内で埋めていく作業は、政治が深く関与しても(当然するだろうが)持続するのは難しい。
さらに仙台にいる親戚からは、実際仙台市中心部は、それほどの被害を受けた、という認識はない、という話も聞こえてくる。心配させまい、と少し大げさに言っている部分もあるだろうが、同じ東北地方の中でも格差があることを教えてくれる話だ。
たとえば家も田畑も津波で流されてしまったエリアで、今後の区画整理や所有権などはどうするのか、所有者が生きていた場合と亡くなっていた場合とでは。もちろん普通に考えれば元通りにするのだろうが、復興というエネルギーを付加しなければいけない段階で、元通りにすれば済む、というほど簡単ではない問題も起きてくるだろう。戦後のどさくさに紛れて勝手に土地を自分のものにし、闇市からのし上がるなんて復興のパターンは今回は許されない。
みんなが苦しければ、パチンコ屋が再開したニュースは単純に明るいニュースになる。しかし苦しい地域が半分だと、こんな時期に再開するのは不謹慎だ、という論調も出る。プロ野球のセパの考え方の違いはまさに今回の格差復興の難しさを象徴する出来事だった。
そうは言っても、メディアも今のテンションを10年も20年も続けることは不可能であり、続けて半年くらいが精一杯である。しかし半年程度では、おそらく現地の状況はなにも変わっていない。テレビに映る映像で変わっていても、そこには時に精神的な、時に法律的な、そして時に経済的な問題が横たわり、何年にもわたって現地の人々を苦しめるに違いない。
正直、被災を免れ、被災した関係者もいない人に、何年も何十年も被災者に手を差し伸べてくれ、というのもムリな話である。被災しなかった人が意識せずとも、自然と被災者を救うことになるようなスキームを作らなければいけない。
おそらく政府はもう考えているだろう。大事なのは、こういったことを政府に勝手にやらせないことだ。ここにこそ、全国民のコンセンサスが必要であり、ゆめゆめおざなりに泥縄的に決めないで、充分な議論を国民の前に開示してほしいと願う。
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